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玉山古墳、埋葬者は皇室直属の氏族か、地方豪族か。 

2010年01月23日  投稿者:kairyu
常陸太田市の梵天山古墳も全長151mとかなり大きいが、作られたのは5世紀後半と言われるから、あれよりも古い時代にこの地方を統治していた権力者の墳丘なのでしょうね。側面は全て河原の白い石で覆われていました。

玉山古墳(たまやまこふん)の西側には、いくつもの小さな古墳が発見されています。
(所在地・いわき市四倉町玉山)

常陸の国が成立するのは、孝徳天皇の御世(645年~654年)、
それ以前は日立市から浜通り一帯は、多珂の国といわれていたから、その国を統治したかなりの地位の権力者の墳丘なのではないでしょうか。

倭の国と高句麗、新羅、中国の唐などと戦争や交易を盛んに行っており、百済、新羅、高句麗とは極めて深い関係があったようです。

「常陸国風土記」は植垣節也氏の新編日本古典文学全集5 風土記に載っています。
小学館発行の書籍です。
上代の石城(いわき)の歴史は常陸風土記に記載されています。
玉山古墳、埋葬者は皇室直属の氏族か、地方豪族か。 

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